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バックボーンは饒舌に語る

  • violeet42
  • 2016年11月14日
  • 読了時間: 10分

 うみちゃんの背骨はなにでできてる?

 背筋をぴんとのばしてうみちゃんが的を見据える。それを道場の入り口から眺めていた。きりりと構えて、射る。それは放つというよりも、円のかぎりなく中心に迷いなく吸いこまれていくみたいだった。そして張りつめた空気がゆっくりと溶けて穏やかになる。その変化を見るのが大好きで、動と静の移り変わりは見ていてとても気持ちがいい。

 うみちゃんはきれいな女の子だと思う。ずっとずっと長い間一緒に過ごしてきて、成長を見逃さなかった。さらさらの髪の毛もきりっとした目元もすらりと長い手足もいいなと思うけれど、いちばん好きなのは背中。いつもまっすぐで、特に弓を構えている時、うみちゃんは身軽そうだ。的じゃなくて、もっと大きくて果てしないものとからだひとつで向き合っているような、そんな感じがする。凛とうつくしい背中。

 うみちゃんはかっこいいとみんなに言われている。特に高校に入ってから、たくさんラブレターをもらうようになって、その度にだれもいない教室でこっそり返事を書く姿を何度も見てきた。たまに呼び出されて、ほんのり頬を染めながらどこかに行くこともある。絶対に教えてあげないけど、うみちゃんが律儀に向き合って全部ことわっているのが、なんだか余計にひどいことをしているんじゃないかなとたまに思ったりする。自分に向けられる好意にすごく弱くて、その中にどろどろとまとわりつくような、はしたない感情が隠されていることに、たぶん気づいていない。知らないことは無いものと一緒で、きっとうみちゃんの目に映る世界は私たちよりもきれいなんだと思う。

 弓をおろして、ほっと一息ついているうみちゃん。それを遠巻きにながめて後輩の女の子たちが控えめに黄色い声をあげている。黄色ってちかちかして耳に入るとなんだかいやな気持ちになる。うみちゃんも声に気づいて、それから少し困ったように後輩たちに向かって微笑んだ。あ、いま、男の子の役割を背負った。無自覚にみんなの王子さまになっているうみちゃん。後輩たちにゆっくり近づいてなにかを話している。しっかりものでみんなに等しくやさしいうみちゃん。

 うみちゃんは泣き虫だった。小学校に入りたての頃、うみちゃんが私の家に遊びに来て夕暮れになってもなかなか帰らないことがあった。どうしたのってきいたら、朝の稽古をさぼってしまったから父に怒られると言ってスカートの端を握りしめながらぽろぽろと大粒の涙をこぼした。  このままずっとここにいていいよ。うみちゃんを悲しませるものはここにはなにもないから。いっしょに楽しく暮らしていこう。こわくないよ。そんなことを思いながらぎゅっと手を握った。手のひらはあつくて汗ばんでいた。  夕陽が空の果てに溶けてしまいそうになった頃、うみちゃんは帰りますと言って腫らした目を手の甲で拭って立ちあがった。どうして? 言葉にしようとしてやっぱり飲み込んで、それからまっすぐな背中を見送った。うみちゃんは、うみちゃんのお父さんやお母さんの期待をしっかり背負いなおした。空を見上げれば夜をたっぷり含んだ藍色がひろがっていた。

「ことり」

 後輩の女の子たちに囲まれていたはずのうみちゃんがいつのまにか目の前にいて、いつもの制服に着替え終わっている。しんと静かな道場には私とうみちゃんしか残っていなかった。感傷に浸りすぎて周りが見えなっていた自分に内心驚いていたら、うみちゃんに心配そうな顔でのぞき込まれてあわてて微笑む。夕陽がうみちゃんを包みこんで横顔の陰影を濃くしていた。眩しくて目を細める。

「大丈夫ですか?」 「うん」 「具合が悪いのなら、」 「なんでもないよ」

 そんな顔しなくていいのに。私のためにそんな顔をする必要なんてない。うみちゃんにはやるべきことがたくさんあって、立ち止ったりつまずいたりするべきじゃない。

 まっさらでいて  きれいなままでいて

「でもやっぱり顔色が」

 そう言って、しなやかなでひんやりとした手のひらが頬に添えられる。らしくない無遠慮な触れ方にぎゅっと目を閉じた。頬の熱がそのままうみちゃんの手のひらにつたわって同じ温度になっていくのがわかる。

「ことり?」

 うみちゃんの手のひらが頬からゆっくりとさがって、顎のラインを撫でられた。熱をたしかめるように、変化を逃さないように、そんな無自覚な触れ方に思わず目を開けてうみちゃんを見つめる。あくまでも真剣で、心の底から私のことを心配している目だった。ぐらぐらと足元がおぼつかなくなる感覚に心さえも揺さぶられて苦しい。

「こんなときばっかり」 「え?」 「うみちゃんはこんなときばっかり、ためらわずに触るんだね」

 うみちゃんはいつも一歩引いて見守っている。控えめで恥ずかしがり屋な女の子。自分がどうしたいかよりも先に他のだれかがどうしたいかを考えて、正しい方向へと進む。うみちゃんはどうしたいの? なにがしたい? なにをしたくない?

「ことり」

 温かい手のひらが私の手をとろうとして、私は自分の手をそっと引っ込めた。見上げれば夕陽に染まったうみちゃんが傷ついた顔をしていた。だからそんな顔をしなくていいのに。でもそんな顔をさせているのはまぎれもなく私だった。目と目が合って琥珀がゆれる。私と同じ色、なのに宿す光がちがう。うみちゃんと私はちがう。なにもかもちがう。

「もう、わからないよ」

 心の底から出た言葉だった。持て余す感情は矛盾だらけで私を締めつける。でも本当は私が昔のままじゃいられなくなったからだとわかっている。一緒にいるのが苦しくて、でも離れたくなくて立ち止まってつまずいてばかり。

私には重すぎる想いだった。そしてそんな想いを向けられる相手も、

 はっきりと自覚して思い知った瞬間に、重力の言いなりになって地面に吸い寄せられるようにそのままへたりこんだ。まるで時の流れが減速してスローモーションになったようだった。体に力が入らなくてこのまま一生どこにも進めない気がしてめまいがする。

 どうしてこんな気持ちを背負ったんだろう。

 うつむけば涙がこぼれて地面に染みをつくり、素早く手の甲で目元を拭う。これはうみちゃんに見せていい涙じゃない。これは甘えの涙。うみちゃんが絶対に流さない涙。

「起き上がれますか?」

 うみちゃんがもう一度手を差し出して、目の前のそのしなやかな指先を見つめた。

「先に帰っていいよ」 「でもこんな状態では」 「うみちゃんがいたら立ち上がれない」

 鋭利な言葉は私自身も傷つける。自分の足で立てないこと、寄りかかってばかりいること、それを他のだれかのせいにするのはずるいことだった。

「わかりました」

 静かに口にして背を向けた。そのまっすぐな背中が視界に入って嗚咽がもれそうになった瞬間、うみちゃんがしゃがみこんだ。

「では乗ってください」

 予想もしていなかった提案に呆然となって、なにを言っているのかしばらく理解が追いつかず戸惑った。これまでの流れをなかったことみたいにして、なにがしたいんだろう。

「なにしてるの」 「帰りましょう」

 背中に両腕を回してうみちゃんが催促する。

「だって、」 「一緒に帰りましょう」

 ゆるがない声音は私が折れるまで動く気配がなく頑なだった。強い言葉でうみちゃんを傷つけて遠ざけようと口を開こうとしたけれど、この背中はそれでもここを動かないのを知っている。うみちゃんは自分の痛みには強い。他人の痛みには弱い。自分が傷つくよりもだれかが傷つく方がよっぽどつらそうな顔をする。唇を噛みしめてそっと肩に手をかけた。

「私がいたら立ち上がれないのなら、ことりを背負います」 「でも、重いよ」 「そんなことはありません」 「ううん。すごく重いの」 「だとしても構いません」

 ずっと理由をきかないんだね。私の心配ばかりをしてくれる優しいうみちゃん。優しすぎるうみちゃん。背中に寄り添いおそるおそる身を預ければうみちゃんがゆっくりと立ち上がり私を背負ったまま歩き出した。

「ことりは軽いです」 「うそつき」

 ちいさく囁けばうみちゃんが腕に力を込めてぎゅっと背中に引き寄せられる。

「そうですね。軽くはないです。きっと軽くはないんだと思います。でも必要な重みです」

 なんの話をしているの? 心臓がどくどく早鐘を打って呼吸がままならなくなる。うまく言葉を紡ぐことができなくて、うみちゃんの背中に頬を寄せて深く息を吸い込んだ。そして吐き出す。

「うみちゃんの背骨はなにでできてる?」

 お互いに手探りで、ひかえめで、だけどそっと核心にふれて相手にゆだねる問答。

「どうしてそんなことを聞くのですか?」 「いつもどんな時もまっすぐだからだよ」

 でもね、きっと限界がくる。重すぎてうみちゃんを押しつぶしてしまうものもある。私を背負っている今みたいに、まっすぐ背筋をのばして前に進めなくなる。

 うみちゃんは黙々と歩く。一歩を踏み出すたびに振動が伝わって背中に頬を寄せれば私も同じように揺れる。まるでうみちゃんの一部になっているような甘く哀しい錯覚。ゆっくりと時間をかけて歩いて、校門まであともう少しのところでうみちゃんが口を開いた。

「背骨は椎骨という26個の骨がパズルのように繋ぎ合わさって構成されているのを知っていますか? そして椎骨と椎骨の間には椎間板という軟骨がクッションになって運動の衝撃や摩擦を和らげています。私がこうしてことりを背負いながら歩いている今もです。 同じように私はだれかにとっての娘で友人で先輩で後輩で、他にもたくさんの役割がありそれがすべて組み合わさって私を構成しています。そして私や私を取り巻く人達の想いや思い出が、役割と役割を繋いで私を両立させているんです。それは綺麗なものばかりではないかもしれません。正しいものばかりでもないかもしれません。これまで自分の意志で選択できなかったものもあります。でもそれ以上に、譲れないものやかけがえのないものを自分で選び取ってきました」 「でも、私は、」 「回りくどい言い方をしてしまってすみません」

歩みを止めたうみちゃんが頭だけを後ろに向けて私をじっと見つめる。弓を構えている時と同じ眼差しだった。

「だからことりのこの重みは、かけがえのない私の大切な重みです」

 放たれた言葉は私の心臓の中心を射抜いて、その瞬間張り詰めていたものが一気に解きほぐれていく。ゆらゆらと目の前のうみちゃんが揺れているのが不思議だったけれど、決壊したように涙が溢れて止まらなくなっているのだとわかって純粋に驚いた。この涙はこれまで私が知らなかった、流さなかった涙。

「ずるいよ。そんな風に、」

 簡単に私の心を掬い上げるなんて。

「泣かないでください」 「うみちゃん、も、」

 同じように琥珀が揺れる。射抜いた後のおだやかな眼差し。うみちゃんがそっと目を伏せた。

「恋人の役割も背負わせてくれませんか?」

 それはきっと戸惑いや苦悩や怖さを超えて掴み取ってくれた答え。私を抱え直したうみちゃんが再び一歩を踏み出したと同時に、手のひらでたしかめるようにうみちゃんの背骨をそっと撫でた。

「その、反応がないと、心許ないです」 「もう歩けるよ」 「ええと、あの、」

 私を支えるうみちゃんの両腕が戸惑いがちに力を緩めて、そっと地面に足をつけた。まるではじめて自分の足で立ち上がったような感覚、けれどふらつくことはなかった。不安そうな顔で見つめるうみちゃんの手をとって、たしかな足取りで校門の傍へと歩く。

「うみちゃん」

 立ち止まってうみちゃんと向き合えば夕陽が私たちを包みこんだ。照らされた部分とそうでない部分、その陰影がさっきよりも淡くて、いつの間にか藍色が空を染め上げて塗り替えようとしていた。

「ぎゅっとしてもいい?」 「はい」

 照れくさそうにうみちゃんがはにかむ。ゆっくりと近づいて両腕の中に閉じこめた。

「ことりは柔らかいですね」 「うみちゃんはすこしかたいね」

 背中に回した手でうみちゃんの背骨に触れる。ちいさな曲線ひとつひとつを丁寧に確かめていたらまた涙が溢れそうになった。

「親友も恋人の役割も、どっちもすごく重いよ」 「臨むところです」 「本当に?」 「本当です」

 ぎゅうっと回された腕に力がこめられて、唇の端に柔らかな感触が突然訪れた。

「私を信じて一緒に背負ってくれますか?」 「ずるい」 「え?」 「いきなりはずるいよ。それに的が外れてた」

 顔を覗きこめば、うみちゃんがしどろもどろになって視線をそらした。

「だって、その、すみません」 「やりなおし」

目を閉じて他の感覚を鋭くすれば、手のひらで触れていたうみちゃんの背骨がすこしだけしなるのを感じて、それからそっと吐息を甘く塞がれた。

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