top of page

たったひとつの月になりたい

  • violeet42
  • 2016年11月15日
  • 読了時間: 8分

※援助交際ネタ注意

「こんなにもらってええの?」 「ええ、いつも楽しませてもらってるから」

 そういってうちのむき出しの肌に一つだけキスを落として皺ひとつないシャツをサラリと羽織る絵里さん。

「今度は希ちゃんがひとりでしてるところが見たいわ」

 甘く誘惑するような香りを漂わせた絵里さんに囁かれて再び体が熱くなる。

「今日はもう仕事に戻るわ。延長してあるから希ちゃんはゆっくりしていってね」 「絵里さん、」 「うん?」

 ちらりと腕時計を確認する絵里さんは、きっともう仕事のことしか頭にない。そんな分別のある大人みたいな顔をするのはやめてほしい。

「またおねえさんと遊んでね」

 3万円で買われたうちの体は、心まで持っていかれて行き場がなくなってしまった。絵里さんにとってうちはたくさんいる軽薄な女の子のうちの一人で、うちにとって絵里さんは狡猾で奔放なたった一人だけの愛しい人。残されたホテルの部屋で甘い大人の香水がかすかに残るシーツを抱き寄せて、冷めることのない熱をひとりで慰めているのをあなたは知らないでしょう?

 お金なんてもらわなくてもいつだってあなたに会いたい。すがりついてしまえば捨てられるかもしれない。あとからあとから流れてくる涙をくしゃくしゃになったお札で拭って震える手でゴミ箱に投げ入れた。

「はぁっ……はぁ…はっ……はあ…」

 下腹部がだるい。立っていられなくて座り込もうとしたら絵里さんに腰を抱き寄せられて口内を蹂躙される。シャワーの生温かさがうちと絵里さんの火照った体をじわじわと冷やしていくから熱を逃がしたくなくてすがりつくように抱きしめた。

「ねえ希」 「う…、ん」

 絵里さんのしなやかな指がうちのナカを探るようにかき回して充血した突起を擦られる。

「なんで生理だって教えてくれなかったの?」 「ごめ……なさっ」 「そこまでしてお金が欲しい?」

 いつだって前触れもなく連絡してくる絵里さんをひたすらに待つうちの気持ちがわかる? ほかの知らない誰かの体をなぞった指で、ほかの知らない誰かの鼓膜を甘く震わせた声でうちの選択肢を無自覚に奪った絵里さんに、うちの気持ちが届くわけがない。

「お金は、裏切らん…やんか」 「それもそうね」

 関心なさそうに相槌を打つこの人は一体なにがしたいのだろう。欠陥だらけのこの人はなにもわかっていない。なんにもいらないと思っているくせになんでも欲しがるこの人がどうしようもなく好きで好きで、たまらない。そっと引き抜いた指を絵里さんがうちに見せつける。

「ほら、真っ赤な血。赤い糸みたい」

 糸引くうちの欲望を見せつけながら絵里さんは子供みたいに無邪気に笑う。真っ赤な他人の真っ赤な嘘が生温かい浴室に甘く響いた。

 放課後友人と遊んだ帰り道、すっかり遅くなってしまった。足早に最寄り駅に向かって歩く。あの人に会えるのはいつだろう。あの人の声が聞けるのはいつだろう。あの人の手がうちに触れるのはいつだろう。次の逢瀬を強く待ちわびているのに同じくらい怯えているこの気持ちのやり場がわからない。最初は気晴らしのつもりだった。今はもうお金なんかよりもあの人の気持ちがほしい。

 すっかり日が落ちて、歩を進める自分の影が夜に溶けて心許ない気持ちになった。それでも進むしかない。家路を急ぐ顔のない人たちにまぎれて駅へと向かう。毎日この駅から学校へ。そして家へと行き来する場所。そしていつもあの人と待ち合わせる場所。

 駅の端の方で途方にくれたような顔をして待っていればいつも少し遅れてあの人がやってきて、うちを見つけてにこりと笑う。その笑顔一つで不満も不安も麻痺して甘い毒に変わるからきっとうちはどこにもいけない。

 駅の入り口が近づいてきたとき、ゆっくりと歩調を緩めた。 これから逢瀬の予定なんてないのに、いつも待ち合わせる駅の端の方を未練がましく見やればあの人がいた。金色の髪は夜でもよく目立つ。すらりと美しい佇まいはどんな雑踏にまぎれていたってすぐに見つけられる。整った横顔がぼんやりと虚空を見つめていた。

 狂おしいほどに会いたいと思ってやまなかったあの人が自分の視線の先にいる。会いに来てくれたこと待っていてくれたことが、それが、その事実がもうどうしようもなく嬉しい。今までのことが全部全部ここにたどり着くまでの踏み台だったのなら愛おしささえ感じる。

 絵里さん、と音に乗せて口にしようとした時、あの人が反対方向へゆっくりと歩き出した。延長線上には制服を着た女の子。あの人がその子の肩にそっと手を置く。

 うちと同じ年端の女の子。同じ様な髪型で同じような身体つきをしていた。うちに似ている女の子。うちがあの子に似ているのかもしれない。

 そのままホテル街へと消えていく2人からゆっくり視線を外して、鉛のように重たくなった足を無理やり引きずる。ただただ可笑しかった。いつからこんなに自惚れるようになったんだろう。ただお金で買われていただけなのに。消費されるうちの身体はいくらでも換えのきく代用品。

 ふと空を見上げたら満月だった。優しい光がうちを照らして影をつくる。どうしようもなく綺麗だと思った。あの人にも見てもらいたかった。あの人と綺麗なものを共有したかった。あの人はうちではない女の子と一緒に月の光を浴びている。

「きれい、」

 視界が滲んで月の輪郭が曖昧になった。

 何度か遊んで飽きたら次へ。そうやっていつも通りサイトを利用して出会ったのが希だった。名前もろくに確認せずに条件だけを見て選んだ女の子。

「はじめまして」

 声をかけたら悪戯が見つかった子供みたいに不安そうな顔をしたから、こういったことに慣れていない子なんだとすぐにわかった。

「あの、うち、」

 わかったからといって私には関係ない。ただ美味しそうだなと思ったのが第一印象。大当たりを引いたわ、とにっこり笑顔を浮かべてホテルに誘導した。

「電気、消してほしい、」 「だめよ。ちゃんと見せて」

 耳元で優しく囁けば簡単に身体の力を抜く女の子。簡単な女の子。リボンを解いてゆっくりとボタンを外して暴いていく瞬間がいつだって一番興奮する。美味しそうだなと思った身体は実際にとても美味しかったし、あまりに美味しくてらしくないことをしてしまった。

「名前、なんていうの?」

 ねえ、と呼べば済む関係なのに尋ねた瞬間、自分にうんざりした。それから気まぐれに連絡をとって身体を重ねて、重ねるごとに私のキスを、私の触り方を、身体に染み込ませていく希。

「あぁ……んっ………はぁ…はぁ…」

 びくりと体をしならせた後、ゆっくりとシーツに体を預けて力の抜けた希を見ながら指をそっと引き抜いた。

「ちょっと激しすぎた?」 「べつに、そんなこと、」

 すぐに息を整えた希がなにも言わずに私の手をとって濡れた指先を口に含む。口の中で舌が絡みついて、希が根元まで咥えこんで上下に往復させるから、そんな男の人にするみたいに、他のだれかに奉仕するみたいに、そんなこと教えていない。

「う……んん…っ……」

 希の顎を掴んで乱暴に指を口の中で掻き回した。

「苦しいの?でもお金分は我慢してね」

 違うことをしないで。言われたことだけして。私を不快にさせないで。そういう契約でしょう? 喉の奥まで挿し入れたら希が一際顔を歪ませたから指を引き抜く。

「けほっ………はぁ……はぁ…っ…」

 自分を守るように体を丸めてうずくまりながら必死に酸素を取り込む希を見ていたら馬鹿馬鹿しくなった。弄んでなじって馬鹿にしても毎回私に会って身体を重ねる希は、なんでも言うことをきいてくれる。別に希じゃなくてもいい。女の子が擦り切れるまで飽きるまで境界線を超えてくるまで遊ぶだけ。

「楽しかったわ」

 財布からお札を取り出すときが一番自分らしくいられる気がする。対価を払えば自分の立ち位置を把握できるから。薄っぺらい紙切れの関係。だからこそ絶妙なバランスで続いている関係。やるべきことが済めばここに用はない。甘いピロートークなんてただの茶番。

「絵里さん、」 「うん?」

 なに? まだ用があるの? なにがしたいの? なにがほしいの? そんなことは全部全部私には興味ない。失って、手に入れて、身体とお金を天秤にかけて平行を保って、それからどうすればいいのかなんて考えたこともない。

 ほしくない。でも欲張りたい。潮時なのかもしれない。そっと携帯を手にとって希の連絡先を消した。代用品なんていくらでもいるから、新しい女の子と遊べばいい。いつもあの子と待ち合わせする駅前で、時間より早く来て相手を待つ。いつもなら私が遅れてあの子を待たせていたけれど、どうしても違うことがしたかった。それなのに同じ年端で髪型も体つきも、似たような女の子を選んでいた。

 違うことがしたかった。違うことがしたかったのに。

 視線の先で女の子が恥ずかしそうにしていた。いくらでも替えのきく女の子。だけど今までとは違う。ありふれた女の子の代わりじゃない。この子はあの子の代用品。

「はじめまして」

 表情は確認しなかった。不安そうな顔をされたくない。同じような顔をしてほしくない。そっと肩に手を置いてホテルへと足を向ける。ふと空を見上げたら満月だった。優しい光が責めるように私を照らして二人分の影をつくる。やるせないくらいに綺麗で腹が立つ。あの子じゃない女の子と一緒に月の光を浴びている。

「じゃあ、行きましょうか」

 月の光から逃げるように人形の肩を抱いた。

最新記事

すべて表示
わたし (だけ) の 青夏

印象党の のぞえり漫画「わたしの青夏」の掌編版。内容は漫画と一緒。 (とくべつはざんこく) 葉と葉の間から射し込む木漏れ日ですら容赦がない。擬音をつけるならギラギラ。空がぐっと近くなって太陽が自分の目が届くものすべてをじりじり焦がしてそれから蝉が鳴いて土と草の匂いが濃くなる...

 
 
 
さみしがりやはだれのせい?

大きなプロジェクトを任されて私も一人前の社会人として認められるようになったと実感できるようになった。なによりも家のことを全部やってくれて私を癒してくれる希のために、その分私が会社でしっかりと働いて胸を張って希の隣にいられるように頑張れるのはとても誇らしい。 「ただいま」 ...

 
 
 
事実は小説よりも恥ずかしい

放課後、帰りのホーム―ルームの挨拶とともに机の横にかけていた革鞄をひっつかんで急いで駆け出す。下駄箱で靴に履きかえることさえもどかしく感じるほど心はもうあの本屋さんへ向かっていた。校門の坂道を駆け下りて細い小道へと入れば急に周りの雰囲気が変わって好奇心をくすぐられる。目的地...

 
 
 
bottom of page