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おんなのこの国

  • violeet42
  • 2016年11月13日
  • 読了時間: 6分

※生理ネタ注意

 まちがいには赤をつける。修正をする。  下着をおろしつめたい便座に腰かけて、したたる赤を見つめた。赤は女を際立たせる色。赤は人を奮い立たせる色。赤は妖艶で危険で激情の色。それから、ほかには、なんだろう。垂れ流される赤に吐き気がしてそっとレバーを引いて水に流した。

 希のからだにさわりたい。隅々の奥の奥まで。寄り添うだけでいい段階はもうとっくに過ぎていた。どんな風にからだを開いて乱れるのかそれとも恥じらうのか、どんな顔で声で感触で、そんなことばかり考えて心底うんざりしたところで意味はなかった。だってもう思い知らされている。下腹部の痛みが私を戒めるから。壁に手をついて寄りかかる。ゆっくりと息を吐いて体勢を立て直した。からだを引きずるようにして保健室に向かいながら心の中で念じる。

 がまん、がまん、がまん、がまん、

 言い聞かせても痛みは増すばかりだった。たどり着いた保健室にはだれもいなくて深く息を吸い込めば消毒液のにおい。なにもかも気に入らない。授業を抜け出してしまったこと。自分のからだがままならないこと。みじめな気持ち。ゆっくりとベッドに腰掛ければ、どろりと気持ちわるい感覚。まだ慣れない頃はよく下着を汚していた。だれにも見つからないように自分で下着を洗ったときの恥ずかしさと罪悪感をいつまでも覚えている。

 (必要ないのに)

 これはからだの叫び。あやまちを正されている痛み。

 つめたいベッドにそっと横になった。かたい枕に頭を預け上掛けのシーツを引き寄せて胎児のように丸くなる。希のからだにさわりたい。目をとじて制服の下にかくされている温もりを想像する。腰のだるさに顔をしかめればドアがひらいて控えめな足音がした。仕切りのカーテンをあけて私を見つめるだれかは先生だと思ったのに。

「えりち」

 気遣う声にどうしようもなく苛立ってここにいてほしくないと思った。寝たふりをしてやり過ごそうとしたけれど肩に手を伸ばされてからだがこわばる。

「えりち、薬のんだ? うち持ってるから」 「いい」 「大丈夫?」

 思いやる希の手を気だるげな仕草で払いのける。大丈夫って、大丈夫じゃないと思うひとにかける言葉だ。わかっていて差しのべる手はやさしくて残酷で理不尽なこともあるのに。

「私にさわらないで」

 余裕がないといくらでもひどいことを言っていいような気分になる。きりきりと痛みが私を蝕んで自分の中にあるなけなしのやさしさまで取り上げていくみたいだ。本当はこれが過不足ないそのままの私なのかもしれない。

「今回は特にきつそうやね」 「おねがいだから、」

 ぎしりと音がして背中越しに希がベッドに腰かける気配を感じた。きりきり下腹部が痛んでやさしさが取り上げられていく。しめつけるような痛みに息がうまくできない。

「出ていって」

 できるだけ無機質な声を選ぶ。

「ここにいたい」 「いてほしくない」

 いたい、いてほしくない、いたい。頭がぐるぐる混乱する。痛いのは私でいたいのは希でいてほしくないのは私。ぎゅっとシーツを握りしめた。

「えりち」

 まるでなにも気にしていないような温度のない声。

「ひとりになりたいん?」

 それからやさしく囁かれる。懲りもせずに今度は私の頭をなでる希の手のひら。子供をあやすように慈しむように母親のように私にさわる。いつかの未来をつきつけられているような気がした。

 がまん、がまん、がまん、がまん、なんてできない。

「いいかげんにして」

 ぎゅっとお腹を抱えて振り向かず唸るように口にした。どろりと気持ちわるい感覚。こみ上げるやるせなさの行き場がわからずに怒りをぶつける。

「出ていって」 「いやや」 「痛いの。眠りたいの」 「うん」 「だから…っ」

 耐え切れずに振り向けば希がすこしだけ困ったように私を見ていた。瞳が澄みきった水面のようでカーテンの隙間からさしこむ光がきらきらと反射している。まるで水底でゆらめく影のようだった。おだやかな光とまっさらな翠色。ただ呆然ときれいだと思った。言葉を飲みこんでじっとみつめ返す。

「えりちの天邪鬼」 「なに言って、」 「正反対のことしか言わんから」 「そんなことない」

 希が私の腕をつかむ。振り払いたいのに離れなくて駄々をこねるように腕を降りまわす。

「そばに来ないでかまわないで放っておいてっ」 「うん、ここにおるよ」

 むずがるからだごとそっと抱きしめて希の腕のなかに閉じこめられる。さわりたくない。希のからだなんかにさわりたくない。こんなにやわらかいなんて全然知りたくない。

「きらい」 「うん、うちも」 「だいきらいっ」 「うちもだいすき」

 とんとんと希がおだやかなリズムで私の背中をあやすようにさする。私の呼吸に合わせてゆっくりとなだめるようにふれるから、くるしくて唇を噛んだ。

「私はなにもいらない」 「うん」 「いらない」 「うん、えりちのほしいものは?」

 ぎゅうぎゅうと抱きしめられた。隙間なんて一切ないくらいぴったりとくっついて、母親のような抱擁とは程遠いつよさにこらえきれずに涙があふれる。こんなつもりじゃない。こんなつもりじゃないのに。悲しいから弱いからさみしいから、そんなつまらない理由で流したくない。止まってほしいのにとめどなく溢れて希の肩に額を押しつけた。

「えりち、おしえて」 「やだ…っ…」 「うちも同じやから」

 同じって、同じだからわかり合えることもそうじゃないこともある。定期的に不安定になる私のからだ。希だってそうだ。私たちのからだはいつかのために赤を滴らせる。

「同じ気持ちで体も同じ。それって、」

 口にしようとした瞬間に視界が一転して背中にかるい衝撃を受ける。いきなり希が私ごとベッドに倒れこみ呆気にとられていたら、希が上掛けのシーツを握りしめた。そのまま両手で持ち上げて空気をたっぷり含ませ手を離せば、仰向けになった私たちのからだにシーツがおおいかぶさる。ふわりと、それは世界中ののやさしさをひとつ残らずあつめてきたような、そんな果てしないやわらかさだった。まっさらな世界につつまれる。希が私を引き寄せて向き合った。

「ここにはうちしかおらんから。ここはうちとえりちだけ。優しい世界やろ」 「でも」 「えりちのほしいものは?」

 頬にふれるのは、思いやりだけじゃない切実さをはらんだ希のあたたかい手のひら。

「のぞみ」

 名前を呼ぶだけで十分だった。希が眩しそうに目を細めながら深くうなずいて私の涙を指先で拭う。

「きれい。もっと泣いてええよ」 「やだ」 「ふふふ」

 見つめ合えばゆらめく翠色。ああそういえば、ふと思い出した。

(赤の補色は緑だ)

 きっとまた月に一度は子どものように駄々をこねる。だけど私にはふたりきりのやさしい世界がある。そっとささやいた。

「起きたら、元気になったら、希にさわりたい。まださわったことないところも全部」 「からだ目当てなん?」 「心はもらったから」

 希がすこし驚いたあとに照れてそれからうれしそうに笑った。ゆっくり目をとじて希の手のひらに頬を寄せれば、おやすみのキスが降ってきた。

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