top of page

ひとりじゃなんにもできない

  • violeet42
  • 2016年11月14日
  • 読了時間: 6分

ほんとうの物語をおしえて 5

「あなたを愛しているの」

 電話越しで遠い誰かにそう告げるのを聞いて馬鹿みたいだと思った。そこまでしてだれかに執着しても意味はない。結局ひとりになるんだから足掻いたところでどうにもならないのに。相手から一方的に通話を切られたのか彼女は黙り込んだ。

「そんな目で私を見る資格はないでしょ」

 白くて冷たい眼差しを向ければ、携帯を握りしめた手で腹部を何度も何度も殴られた。じっとうずくまって受け入れる。私の選択肢は耐えることだけだった。

「あなたは私のお人形なんだから」 「……っ、う…」

 そのまま腕を掴まれ玄関まで引きずられて外に放り出される。

「ちゃんといい子にするのよ」

 にこりと笑ったあとドアが冷たく閉ざされた。  腹部が刺すように痛んで目眩がしたけれど、立ち止まればきっと気を失ってしまう。壁を伝って体を引きずるように歩いた。周囲の目が冷たく刺さるのを感じたけれどそんなことはどうでもいい。だれも助けてくれない。差し伸べられた手は欲にまみれて汚れていた。教えられた目的地まで歩きながらただひたすら願う。

 なにもいらないから、なんでもするから、どうかどうか自由を奪わないで。

 やっとたどり着いたドアを背にして、震える自分の体を抱きしめながらぼんやりと考える。

(記憶喪失、なんて設定じゃ、ふざけすぎやろか)

 自嘲ぎみに笑ってゆっくりと意識を手放した。

 女と蒸発して逃げた父親の代わりに、母親は私を女手一つで育ててくれた。でも大学を卒業してやっと社会人として母親の力になれると思った矢先に過労で倒れてあっけなく死んでしまった。私のために尽くしてくれた母親がこんなにも簡単に人生の幕を下ろしてしまったことで、気持ちのやり場をどこに持っていけばわからずに淡々と日々の生活を送っていた。

 仕事場と家の往復を繰り返す毎日。ある日、仕事で疲れた体を引きずりながら帰宅すれば郵便受けに一通の手紙が入っていた。いかにもありがちな話。蒸発した父親が借金をつくってそのまま自殺。実の娘が責任を持って返済してほしい。そんな人の人生を簡単に狂わせるような内容が事務的な文章で綴られていた。 どうしようもない父親らしくたちの悪い金融会社から手当たり次第に借りた額は300万円。すぐに返せと言われても返せる額ではない。

 通知を受け取った日から、体を見えない鎖で拘束されているような感覚がした。返済日が近づくにつれて自分の存在価値がだんだんわからなくなっていく。仕事場からの帰り道、頭の中でどうしようかと絶望的な気分に浸っていたら、声をかけられた。

「あなた、受付の人だよね?」

 甘い声で話しかけられて振り向けばどこかで見たような顔があった。

「あの、どこかで、」 「優木あんじゅって言うんだけど」

 ああ、思い出した。私が受付嬢として勤めているアライズ出版の看板作家だ。

「あのベストセラーの、」 「今は全く書いてないけどね」

 そう言って自嘲ぎみに笑ったあんじゅが私の手を取って、ついてきてと囁いた。

 連れてこられたのはいかにも高そうな会員のバーで、店に入るなり恭しく個室に案内される。

「元気なさそうだったから連れてきたんだけど、迷惑だった?」 「いや、そんなことは、」 「受付の人だってことはわかるんだけど、名前は?」 「東條希、です」 「希さんね」

 こんな高級そうな店、落ちつかない。心許なく俯いたら目の前にウイスキーの入ったグラスを差し出された。あまりお酒は強い方ではないから2杯目を飲み干したあたりで目の前の景色が揺らめいて見えた。どうしてこんなところにいるんだろう。ほとんど面識のない相手にふらふらとついていって、自分のことなのに他人事みたいな気持ちで今の状況に流されている。

「こんな風に知り合ったのも何かの縁だから、よかったら悩みとか聞くよ?」

 普段なら絶対に他人に相談なんてしないけれど慣れない空間とお酒の力のせいで借金のことを全て話した。本当はだれかに聞いてほしかったのかもしれない。一人で背負うには荷が重すぎたのだとはじめて気がついた。

「それって、すごく大変ね」

 グラスに入った氷をくるくるとかき混ぜながらあんじゅが私を見つめる。品定めをするような試すような瞳。居心地が悪くてトイレに行こうと席を立った。

「ねえ、大丈夫?」 「はい、ちょっと酔ったみたいで」

 頭がくらくらして自分がなにをしたいのかわからなくなっていた。とても気持ち悪い。とにかく早く家に帰りたいと思った。

「ちょっと、なにするんっ」

 重心が定まらずふらついたら、あんじゅが支える振りをして腰を抱き寄せ顔を近づけてきた。とっさに肩を押して距離をとる。

「うち、そんなつもりじゃ」 「このバーはね、もっとゆっくり寛げる部屋があるの」

 ポケットからキーを取り出し見せつけるようにくるくると振り回した。

「だからうちは」 「一晩10万でどう?」

 なんでもないことのように提案するあんじゅの目はギラギラと獲物を狙う肉食獣のようだった。きっと最初から目的が決まっていて、つけ入る理由を探していたのだと気づく。  ここに来るべきではなかった。話すべきではなかった。他人をに頼ることは自分の弱さをさらけ出すことで、ただの甘えでしかない。そんなことわかりきっていたはずなのに、馬鹿みたいだ。重くのしかかる現実は自分で背負うしかない。

「希さんにとっても悪い話じゃないでしょ」

 悪魔みたいに甘く囁かれながら肩を抱かれて、震える足を奮い立たせて席を立った。

「借金、全部肩代わりしてあげよっか?」

 乱れたシーツの波に素肌を隠し上がった息を整えていたら、仰向けにされて頭の上に両腕をまとめて拘束された。

「いい眺め」 「はなして、や」

 シーツも枕も全部ベッドの下に落とされて、あんじゅの舐めるような視線を受け止めて顔を横に背ける。

「300万円。出してあげる」 「なんでそんなこと、」

 腰に跨って体重をかけてくるあんじゅを思いきり睨みつけたらにやりと笑みを浮かべた。

「その代わり、私の言うことをなんでも聞くお人形さんになってね」

 触れ合う素肌が気持ち悪い。選択肢を周到に奪っていくこの人に、私の尊厳を弄ぶ権利はない。

「うちがそんなことするわけ、」 「じゃあ風俗で働く? たくさんの男の人の相手をするの? 女の子がすぐに大金を手に入れるには体を売るしかないんだよ?」

 あんじゅがくすくす笑いながら追い詰める。

 どうしてこんな目に。なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか。誰かの操り人形にはなりたくない。自分の足で立っていたい。

「でも、もうやってることは変わらないね。10万円であーんなこともこーんなこともしてくれたんだから」

 私の尊厳をずたずたに引き裂くには充分すぎる言葉を耳打ちして体が軋むほどつよくつよく抱きしめられる。悔しさで景色が滲んで前が見えない。あんじゅの言葉に偽りが一つも混じっていないことくらい自分が一番わかっている。静かに目を閉じた。

「なにをすれば、ええの?」

 掠れる声で尋ねてゆっくりと目を開ければ、あんじゅが優しく微笑んで顔をそっと近づける。契約の口づけを交わして悪魔に魂と尊厳を売り払った。

「私の大切な人がこれから書く小説のデータを、書き上がったら持ってきてほしいの」

最新記事

すべて表示
わたし (だけ) の 青夏

印象党の のぞえり漫画「わたしの青夏」の掌編版。内容は漫画と一緒。 (とくべつはざんこく) 葉と葉の間から射し込む木漏れ日ですら容赦がない。擬音をつけるならギラギラ。空がぐっと近くなって太陽が自分の目が届くものすべてをじりじり焦がしてそれから蝉が鳴いて土と草の匂いが濃くなる...

 
 
 
さみしがりやはだれのせい?

大きなプロジェクトを任されて私も一人前の社会人として認められるようになったと実感できるようになった。なによりも家のことを全部やってくれて私を癒してくれる希のために、その分私が会社でしっかりと働いて胸を張って希の隣にいられるように頑張れるのはとても誇らしい。 「ただいま」 ...

 
 
 
たったひとつの月になりたい

※援助交際ネタ注意 「こんなにもらってええの?」 「ええ、いつも楽しませてもらってるから」 そういってうちのむき出しの肌に一つだけキスを落として皺ひとつないシャツをサラリと羽織る絵里さん。 「今度は希ちゃんがひとりでしてるところが見たいわ」...

 
 
 
bottom of page