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ホウレンソウはしっかりね

  • violeet42
  • 2016年11月14日
  • 読了時間: 8分

社会人パロ

 新社会人として働き始めてもう3ヶ月。だんだんと仕事には慣れてきてけれど毎朝憂鬱な気分で目が覚める。朝食を食べて歯を磨いて化粧をして着替えたところでようやく気持ちが仕事モードに切り替わるけれど玄関のドアがいつも心なしか重い。ああ今日も一日頑張らないと。

 改札を通って階段を駆け下りる途中で鞄の中身をばらばらと落としてしまった。すいません、と迷惑そうにうちを避けて通るサラリーマンにたちに謝りながら急いで荷物をかき集める。予想外の時間のロスに走って目的の電車に乗り込もうとしたら、もうすでにぎゅうぎゅうに人が詰め込まれていて一瞬にして気持ちがひるんでしまう。けどこの電車を逃せば遅刻は免れないからと仕方なく強引に乗り込めば目の前でゆっくりとドアが閉まった。

 毎朝毎朝この通勤ラッシュで1日のほとんどの体力をここで消費しているような気がする。酸素が薄くてうまく呼吸ができない。早く着いてほしいと心の中で唱えていたら急に電車が大きく揺れて背中に圧迫感を感じた。うちに配慮してくれようとしたのか後ろの人が手を伸ばしてドアに手をついて衝撃を抑えてくれた。

 でも、ありがたいけれど、ありがたいんだけれど。後ろの人が伸ばした手はドアとうちの胸に挟まれる状態になってしまってそのままぎゅっと圧迫されてしまっている。

「あ、あの、すみませ」 「わざとじゃないわよ」

 後ろからそっけない声がして動かせる範囲で首を動かして後ろを確認したらそれはそれはよく知った顔で心臓が飛び出そうになった。

「あ、絢瀬さん!すすすすすみません!あの、今すぐなんとかするので!」 「身じろぎしないで。いいから、ちょっと黙ってて」

 朝から通勤が一緒になるなんて本当に今日は運が悪い。しかもこんな状況で。絢瀬さんはうちの上司で、とんでもなくこわい。他の同僚や後輩には優しいのに教育係として指導するうちへの風当たりがつらすぎて仕事が憂鬱な原因はほとんどこの人のせいだと思う。美人が真顔で怒るとこんなにこわいのかというくらい毎回毎回ダメだしされれば誰だって苦手になってしまうと思う。ガタゴトと電車が揺れるたびに絢瀬さんの手がこすれて顔に熱が集まる。こんな状況恥ずかしい。

「んっ…絢瀬さん、ほんとにすいませ……」 「あとちょっとだから我慢して」

 淡々とした口調で言われてもっと申し訳ない気持ちになる。絢瀬さんは呆れているのかもしれない。こんな状況に巻き込まれてイライラしているのかもしれない。お願いだから早くついてと念じ続けていたらようやく目的地でドアが開いてほっと胸を撫で下ろす。改めて絢瀬さんにあやまろうと後ろを振り向けば、そのまま何も言わずにうちの前を通り過ぎていって置いてけぼりにされてしまった。

 とぼとぼと会社まで向かって沈んだ気持ちのまま自分のデスクに座る。奥のデスクを見れば絢瀬さんが涼しい顔ですでに仕事を始めていてはあとため息をついた。

「あの、さっきはすみませんでした…」

 絢瀬さんのデスクまで恐る恐る近づいて今朝の非礼を詫びれば、

「べつに。そんなことよりも仕事してくれる?」

 こっちの方をちらりとも見ずにキーボードを軽快に打ちながら言われて、わかっていたけど、わかってはいたけどそっけない対応に打ちのめされて情けない気持ちをもてあましたまま自分のデスクに戻った。

 これじゃだめ。さっき言ったでしょう? 言われた事をちゃんとやってくれる? 少しは自分で考えて。ちゃんと報告、連絡、相談を徹底して。ホウレンソウを習わなかったの?

 今日はいつもに増して絢瀬さんの機嫌が悪い気がする。絶対に今朝のこと怒ってる気がする。怒涛のように教育的指導を受けて、書類を書き上げるまで帰らないでと残業通告を受けたところで机に突っ伏した。  定時に帰宅していた頃を思い出せない。自分の実力不足が大きな原因だけどここまで仕事に圧迫されると弱音の一つも言いたくなる。オフィスにはうちと絢瀬さんしかいなくて、こうやって残業を言い渡されるたびに絢瀬さんも残ってうちの書類の出来を確認するまで帰らない。申し訳なくていたたまれなくてこわくて作業の手が焦ってしまう。

「これでいいわ」 「あ、ありがとうございます」

 やっとお許しが出たところで肩の力が少し抜けた。

「もう同じ失敗をくりかえさないで」

 冷ややかな目を向けられて情けなさで胸がいっぱいになってしまう。そのまま俯いて立ちすくんでいたら忘れ物を取りに戻ってきた同僚がオフィスに入ってきた。

「あれ? 絢瀬さんたち残ってたんですか」 「ええ。今ちょうど終わったところ。」 「そうなんですねー。おつかれさまです!」 「おつかれさま」

 そう挨拶して絢瀬さんが同僚に向かってふわりと微笑んだ。

 なんで、なんで、なんで? なんでうちにだけこんなに厳しいの? 他の人にはあんなにきれいな笑顔で笑いかけるのにうちにはなんでこんなに冷たくするのかわからない。そんなに嫌いなら嫌いだってまわりくどい事をせずにはっきりと言ってくれたほうがましなのに。

 いろんな感情がない交ぜになって、そのまま鞄を引っつかんで会社を飛び出した。絢瀬さんが何かを叫んだような気がしたけどそんな事はもうどうでもいい。  なんでこんなにうまくいかないんだろう。もっとしっかりと仕事をこなして絢瀬さんに認められるようになりたいのに。いつも気持ちばかりが焦って失敗するたびに嫌われている気がする。それでも毎日働かなければならないし、きっと明日もあの人はなんでもないようなすました顔でうちに冷たくあたる。憧れている人に嫌われるのはだれだってつらい。うちをちゃんと見てくれないのはとてもかなしい。

 少し混雑している電車にそのまま飛び乗ってつり革につかまりながら流れる景色を窓ガラス越しに眺めていたら腰あたりに違和感を感じた。そんなに混んでいるわけではないのに後ろにいるサラリーマンが体を密着されているのだとわかって嫌悪感が募る。今朝の時はこんな風に思わなかったのに、今は後ろにいる男の息遣いを感じるだけでも足が震えてこわい。

 やめて、とたった一言がどうしても言えずに耐えていたら、背中に感じていた男の気配が引き剥がされた。

「やっと、みつけた……!」

 振り返ればぜえぜえと息を切らした絢瀬さんが男を突き飛ばしていて、電車が駅に着いてドアが開いたタイミングと共に手をつかまれ電車から飛び出して二人でホームに降り立った。

「あの、絢瀬さん……なんで?」

 突然のことに戸惑って声をかけてもなにも答えてくれずにうちの手をひいてずんずん歩いていく。絢瀬さんの手はじんわりと湿っていて、それだけでも急いで追いかけてくれたことがわかったけれど無言で何の説明もしてくれないから混乱してしまう。  絢瀬さんが向かった目的地は駅のトイレで、他に誰もいないのを確認して個室に押し込められた。

「いったいな……んっ」

 そのままドンとドアに押し付けられて状況を説明してもらおうと口を開いたら噛み付くようなキスをされた。ぬるりとあたたかな舌がうちの口内を味わいつくすように這い回って体の力が抜けてしまう。

「んぅ…っ…はぁっ……はぁ……」

 立ってられなくて強く肩を押せばようやく開放してくれた。

「なん、で……こんなこと、するん?」

 いきなり強引にされてもうわけがわからない。こんな、いきなり、

「なんでさっき抵抗しなかったのっ!あんな男に好き勝手にさせて、」 「そんなの、そんなの絢瀬さんには関係ないやろっ」

 どうしてそんな事を絢瀬さんに責められなきゃいけないの。普段あんなに冷たいくせにこんなわけがわからないことで怒らないでほしい。

「あるわよ……関係あるわよ! 今朝だってあんな無防備に…私がどんな気持ちであの時……っ」

 切なく囁かれて強く強く抱きしめられたら今までの感情が全部どこかに飛んで頭が真っ白になってしまった。

「毎朝毎朝あなたが通勤する時間に合わせて電車に乗り込む気持ちがわかる? 痴漢にあわないようにってハラハラさせられて…」 「そんな、だって、絢瀬さんはうちのこと嫌いなはずやん…」

 思ってもなかった絢瀬さんの本音にふれて、気持ちがふりまわされてしまう。だって。だって。だって。あなたはいつもうちに冷たいまなざしを向けて突き放すようなことばかり、

「そんなのっ上司が部下に…こんな気持ち、言えるわけないじゃない……っ…少しでもやさしくしたら、きっと仕事にならなくなる…」

 ぼろぼろと涙を流しながらうちの肩を濡らす冷徹な上司が、本当は臆病で不器用でやきもち焼きだったなんて知らなかった。

「絢瀬さん、こっち向いて」

 泣き顔を見られたくないのかなかなか顔を上げてくれないから頬に手をあててやさしく上を向かせる。そのままふれるだけのやわらかいキスをしたら絢瀬さんはもっと情けない顔で鼻水を出しながらわんわん泣き出した。

「絢瀬さん。」 「うぅっ………はい…」 「言いたいことがたくさんあるんやけど、」 「うんっ……ひっ、く…ごめ、なさ……」 「うちが絢瀬さんに言ってもらいたいのはその言葉やないよ?」

ホウレンソウを怠るなっていうのは絢瀬さんの口癖なのに。

「う…っ……ひっく、うぅ………だいすき…で、す」

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