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冷たい言葉 / 優しい視線

  • violeet42
  • 2016年11月14日
  • 読了時間: 16分

ほんとうの物語をおしえて 2

 珍しく目覚ましよりも早く起床してぼーっとした意識のままリビングに行けばソファがこんもりと盛り上がっていた。まだ夢の中かとふわふわ考えていたら、そういえばとんでもない拾い物をしたのだと思い出す。キッチンでインスタントコーヒーを淹れぼんやりとソファで丸くなっている布団のかたまりを眺めていたら、もぞりと動いた。

「ん、おはようさん」

 コーヒーの匂いで目が覚めたのかあるいは寝覚めがいいのか、希がパチリと目をあけて挨拶してきた。寝起きで髪はぼさぼさとはいえ、よくよく観察すれば希は人目を惹く容姿をしているなと思う。年齢は私よりも少し上かもしれない。別に私と同居しなくてもパトロンならいくらでも見つかりそうだ、そんな下世話なことを思ったけれどまだ意識が覚醒してないからだと心の中で言い訳した。  ようやく目が覚めて、朝ごはんのトーストを食べ終わったところでこれからの話をすることにした。

「あの、名前、これからなんて呼んだらええ? 『エリチカ』とか『えり』とかってにこさんが呼んでたのは覚えてるんやけど」 「ああ、名前は絢瀬絵里よ」 「エリチカっていうのはなんだったん?」 「祖母がロシア人でクォーターだから。それで小さいころからエリーチカって呼ばれてただけ」

 まだ私が輝いていたころの遠い記憶が心をかすめる。まだ私にはバレエがあって、求められるままに踊ればみんなが喜んでくれたあの頃。

「だから金髪美人さんなんやね」

にっこり笑ってそう言った希の、なんの含みのない言葉にさえ私は苛立つ。

「希」 「はい?」 「私は勝手に呼ばせてもらうから希も好きにして」 「じゃあ、えりち」 「え?」 「好きに呼んでええって言われたから」 「……べつにいいけど」

 不本意な形で始まったこの奇妙な共同生活を、つつがなく過ごすために私が希に要求したことはひとつ。

「仕事部屋には入らないで」

 それから家事の分担の話になり希を部屋を見渡す、服はあちこちに散らかり放題、キッチンの流しは食べたカップ麺がそのまま放置され異臭を放っている、パンパンに膨らんだゴミ袋は玄関口に4つほど放置、部屋の角には埃が丸々とたまっている状態。いつ掃除機をかけたのかよく覚えていない。

「家事はうちが全部する」 「……お願い」

 少し部屋を見るだけで、ここの家主がいかにだらしないかなんて説明しなくてもすぐにわかる。

「あと家賃もちゃんと働いて出すから心配せんでな」 「身元がわからないのに雇ってくれるところなんてあるとは思えないわ」

 しゅんとうなだれてわかりやすいくらいに落ち込むから、まるで私が悪人みたいな気がしてくる。

「別にお金の心配はしなくていいわ。困ってないから」 「でも、そんなん申し訳ないし」 「そんなに気を遣うんだったら自分のことを住み込みで働いてる家政婦だと思えばいいわ」

 私自身、そういうものだと割り切ってこの共同生活を無理やり納得させている。ただ私のテリトリーに踏み込みさえしなければこちらからはなにも求めない。

「わかった、お言葉に甘えさせてもらうな。でも記憶が戻ったらちゃんとお金は返すから」

 いいと言ってるのに律儀にお金のことにこだわるのはなぜなのかよくわからない。身寄りのない人間が無償で生活できるのだからそれでいいはずだ。食い下がらない希に私もどんどんぶっきらぼうな対応になってくる。

「1人が2人に増えたところで大差ないし、あとでごちゃごちゃとお金のやりとりをするのは好きじゃないの。だから別にお金は返さなくていいわ」 「…えりちがそう言うんなら。ありがとう。うちなんでもするから、なんかあったらなんでも言ってな」

 お礼ならにこに言えばいい。私は最後まで反対したんだから。そこまで感謝される筋合いなんてない。

「でもえりちってお金持ちなんやね。ここも立派なマンションやし。もしかして売れっ子の小説家さんなん?」 「まだデビューもできてないスランプ中の小説家志望よ。今はにこに翻訳とかちょっとしたライターみたいな仕事を紹介 してもらってるだけ。お金のことは、別にどうでもいいでしょう」 「そうやね、いろいろ無神経なこときいてごめんな。でも一緒に住むえりちのこと少しでも知っておきたいから」

 親しくない人間に、自分について詳しく話をするつもりはないが一緒に住む以上は多少の情報を共有しなければならないことがもどかしい。でも身寄りのない記憶喪失の希が頼れる場所がここしかないのは紛れもない事実で、それが私を一番苛立たせる。だれかに頼ったり頼られたり受け入れたり受け入れられたりなんて、そんなことは茶番でしかない。

「今から仕事するから」 「うん。じゃあ家事は任せといてや」

 逃げるように仕事部屋へ閉じこもった。

 それから3時間ほど集中して、にこから依頼されたロシア関連のインタビュー記事を翻訳してデータを編集部に送った。ノートパソコンを閉じ座った状態でぐっと伸びをしながら耳をすませる。さっきまで掃除機や洗濯機、希がぱたぱたとスリッパで歩き回る音が聞こえていたが今はぱたりと止んでいる。しばらくしてそっと足音を立てる音が近づいてきてコンコンと仕事部屋のドアがノックされた。

「あの、えりち。開けてもええ?」

 無言でいたら希がゆっくりドアを開けて控えめに顔をのぞかせる。

「なに?」 「おやつの時間やし休憩も兼ねて、お菓子とコーヒーもってきたんやけど」

 そう言って部屋に入ってきた希は淹れたてのコーヒーと切り分けられたバウムクーヘンを乗せたトレイを手に持っていて、こちらの様子をうかがっている。

「私は自分のタイミングで好きに休憩するし、仕事部屋には入らないでってさっき言ったばかりだと思うんだけど」 「そうやったね。あの、ごめんな」

 希が苦笑してゆっくりと後ずさる。幸先が不安だと心の中でつぶやきながら眉間のしわを指で伸ばした。

「あんたなに希さんいじめてんのよ」

 声のする方を見れば希の後ろでにこが仁王立ちしていた。

「なんでにこがいるのよ。原稿なら、」 「わかってるわよ。ちゃんとメールは確認した。希さんとちゃんと仲良くしてるか気になっただけ」 「にこさんが来たこと伝えようと思ったんやけど…」 「にこが勝手に上がりこんだの。希さんにおやつを持って行かせたのもにこ」

 ただでさえにこには言いたいことが山ほどあるのに、これ以上怒らせないでほしい。

「気が済んだならもう帰って」 「絵里、リビングみた?」 「なんなの?」 「ビックリするくらい綺麗になってたわよ」

 そう言われてにこに引きずられるようにリビングに行けば、確かに数時間前とは見違えるほど部屋が綺麗になっていた。

「絵理が一人で住んでたらこの綺麗な状態は一日ももたないわね」

 そんなこと改めて言われなくても自覚している。希を見やれば目が合ってにっこり微笑まれた。

「うちに出来ることといったらこれくらいやし。なんでも言ってな」 「家のことやってくれるならなんでもいいわ」 「あんたね、役割分担を決めたとはいえ、お礼くらい言いなさいよ」 「うちが無理言って住まわせてもらってるんやからこれくらいはさせてもらわんと」

 反論しようと思ったことを希が代わりに言ったから口を挟むのをやめた。

「希さんがそれでいいならこれ以上言わないわよ。でもね絵理、ひとつだけ言わせてもらうわよ」 「なに?」 「希さんの身の回りのものを早く買ってあげなさいよ。今希さんが着てるの、よれよれのスエットじゃない。しかもノーブラ。ただでさえ希さんナイスバディなんだから目のやり場に困るでしょ」 「それは……わるかったわ。希、好きなもの買ってくるといいわ」

 財布から適当な枚数のお札を引き抜いて希に渡そうとすれば、がしっとにこに腕をつかまれた。

「真姫ちゃんといい、あんたといい、なんでそんなに簡単にお金渡しただけで解決したつもりになるのよ。もちろん絵理も買い物に付き合ってあげなさい」

 またなにを言い出すかと思えば面倒なことばかり。これ以上わずらわしいことを増やさないでほしい。

「記憶がなくて心細い思いをしてる希さんを一人で買い物に行かせていいわけないでしょ」 「じゃあにこが付き添えばいいじゃない」 「同居人どうし仲良くしなさいって言ってんの」

 どうして人のテリトリーを荒らすことばかり言い出すのが理解できない。いつだってにこは他人のことに首をつっこんで周りをひっかきまわしていく。

「ほら、希さんが着れそうなもっとましな服貸してあげなさいよ」

 寝室のクローゼットから服を物色する。スタイルはそんなに変わらないだろうけど、きっと彼女の方が胸が大きいはず。考えた末に最初に希が着ていたものと同じようなデザインのワンピースを選んで希に渡した。

「なにからなにまでありがとうな」

 そう言って着替えはじめた希を寝室に残してリビングに向かう。

「じゃあ、にこもう帰るから」 「本当に2人で買い物に行かせるつもりなのね」

 まだ仕事残ってるからと玄関に向かった背中をソファに座って眺めていたら、にこが振り返った。

「あんたまさかそのジャージで買い物に付き添う気じゃないでしょうね」

 にこの捨て台詞のせいで私まで着替える羽目になって、適当に選んだスキニーパンツとシャツで希と外に出た。マンションの駐車場から車に乗って目的地へと向かう。

「えりち、車持ってたんやね」 「中古の軽で悪かったわね」 「そういう意味で言ったんやないよ。車運転するイメージなかったから」

 だれかを車に乗せて出かけるなんて久しぶりで居心地が悪い。私が気を遣う義理もないし、話す理由もないから運転に集中していたら、希もなにも言わずに片肘をついてずっと窓の外の流れる景色を眺めていた。  それから目的地に着き車を降りて大通りを少し歩いてところで小さな路地に入った。できれば人が集まらない場所でさっさと買い物を済ませたい。

「この通りに店が何軒かあるから好きな店を選ぶといいわ」 「でも、ちょっと高そうやない?」

 そう言って希がなかなか店に入ろうとしないから、焦れて目についた店に私が先に入ることにした。後ろからそろそろと希も店内に入ってきて、キョロキョロと見渡して手前にいたマネキンが着ていた服の値札を見る。

「えりち、ここはパスや」

 私にだけ聞こえるように希が小声で囁いたかと思ったら、遠目から見守っていた店員に軽く会釈をして店から出て行った。

「気に入ったものがなかったの?」 「そういうわけやなくて、あまりにも高すぎるから」 「お金なら大丈夫だと言ったはずよ」 「せやけど…」

 それから4軒まわった。希はどの店に入ってもすぐに値札を見た途端に最初の店と同じ反応をして店を出ることを繰り返すから、結局まだなにも買えていない。流石に疲れてきた。希はそんな私を見て申し訳なさそうにしているけれど、そんな顔をするなら値段なんて気にせずにさっさと買い物してほしい。

「次でこの通りにあるお店は最後よ」 「そう、みたいやね」

 今度は意を決したように希から先に店内に入っていき、それに続いてのろのろとついていく。

「こんにちは」

 まるで砂糖菓子みたいに甘い声がした。振り返れば髪のサイドを鶏冠のようにアレンジした、柔らかい雰囲気の店員がにこにこしながら近づいてきた。

「わあ、2人とも美人さん」 「ありがとう、店員さんもな」 「えへへー」

 店員と話しながら希はキョロキョロと店内を見回している。

「どの服もみんなかわいいなあ」 「ありがとうございます。ここにあるお洋服は全部わたしがつくったんです」 「へえ、すごいなあ。1人で作ってるん?」 「デザインから考えるから時間がかかるけどわたしが一人で作ってます」

 希と店員の会話を聞きながら値札を確認すれば、今までの店より安かった。それなのにしっかり手が込んでいて一着一着大切に作られたんだと見ただけでもわかる服ばかりで、もっと高くてもいいように思えた。

「あんまり高すぎるとお客さんに申し訳ないから、値段はけっこう頑張ってるんです」

 いつのまにか私の隣に来ていた店員がそう言って微笑んだ。

「あの人に似合いそうな服を何着か見繕ってもらえる?」 「え、ちょっと、えりち?」 「うれしい!コーディネートは得意なんです」

 突然のことに希は慌てているけれど、そんなことは早く買い物できればどうでもいい。

「この店なら文句はないでしょう」 「まあ、そうやけど」 「決まりね」 「じゃあおねえさんはこっちで待っててくださいね」

 いつのまにか目をキラキラ輝かせている店員に手を引かれて希はフィッティングルームに押し込まれた。

「ここ、下着も取り扱ってるの?」 「はいっ下着は海外から輸入したものですよ」

種類が豊富できっと希のサイズもあるはず。

「じゃあ下着もあの人に合うサイズのものを何着か用意して」

 それから希の着せ替え大会のようになって、店員が差し出したものを希は次から次へと着ていた。私はそれを横目で見ながらほんやりとしていたらいつのまにか終わったらしく、気がつけば下着や洋服を買いこんで結構な荷物になった。

「どれも希さんにピッタリ似合いますよ」 「一生懸命選んでくれてありがとな」

 会計を済ませて店を出るときに店員が近づいてきて手を差し出した。

「たくさん買ってくれたから、特別にことりのおやつあげますね」

 そう言ってチョコを渡してきて、店を出てからも私たちが角を曲がるまで手を振って見送り続けていた。

「可愛くて、面白い子やったね」 「まあ、そうね」

 必要なものは買ったから、後はもう早く帰りたい。少し足早に歩いていたら、隣にいたはずの希がいなかった。振り返れば離れたところで希が2人の男に話しかけられている。

「荷物重そうだね。持つよ」 「いや、あの、1人で持てるから、」

「大丈夫だって。俺らが運んであげるから。なんなら休憩がてらお茶しようか?」 「のぞみ」

 男たちの間に割って入るようにして希の腕を掴めば、男たちが一斉にこっちを見た。

「え、ハーフ?すごい可愛いじゃん」 「人数的にもちょうどいいし、4人でご飯食べに行こうよ」 「急いでるから」

 まとわりつくような視線がどうしようもなく気持ち悪い。見知らぬ人間相手に段階を飛ばしてどうして馴れ馴れしくできるのか理解できない。

「ならさ、せめて連絡先おしえてよ」

 希を連れて立ち去ろうとすれば男たちが食い下がってきて、一気に頭に血が上る。

「男に興味ないの。消えて」

 思いきり睨みつけたら男たちはやっと退散していった。

「えりち、ごめんな」 「なにが?」 「うちがもたもた歩いてたから」 「荷物を抱えていたからでしょ」

 希が紙袋の持ち手を両手でぎゅっと握り小さな子供みたいに俯くから深いため息がもれる。

「私は鈍感だから」 「え?」 「あまり他人のことを見ないから、人よりも気づけないの。希が荷物を両手に抱えて大変そうだとか、さっきの男たちが絡んでくるまで気がつかなかった」 「あの、」 「一緒に住む以上、多少は手を借り合ったりしないといけないだろうし。べつに故意に困らせたいとか思ってるわけじゃないから。困ったことがある時は希から伝えて」 「それは、」 「言わないとわからないから、特に私は。わかってもらいたいなんて期待しないで」 「それじゃあ、半分こしてもらってもええ?」

 そっと差し出された紙袋を受け取れば片方でも十分重くて、にこにこしながら隣を歩く希を見て本当に馬鹿だなと思った。

「それにしてもすごかったなあ、さっきのえりち」 「なに?」

 ようやく買い物から帰宅してリビングのソファで一息ついていたら希がキッチンからコーヒーを運びながら話しかけてきた。

「さっき男の子たちが話しかけてきたとき。えらいかっこよかったわ」 「ああ、」

 カップを私に手渡し自分の分のカップを両手で包み込むように持って、希は私のいるソファの端にゆっくりと座った。

「男に興味ないの、ってえりちみたいな美人さんやから言えることやと思うよ」 「それ以上言いようがないもの」 「え?」 「恋愛対象は同性だから」

 顔を見なくても、言わなくていいことを口にしたことは分かっている。でもこれで気安く接してこないだろうと牽制をしただけ。

「そうなん? たしかにえりちは女の子にもモテそうやね」

 予想していたどの反応にも当てはまらない返答に驚き思わず希を凝視した。隣でゆっくりとコーヒーを飲む希の佇まいは落ち着いていて私の方が少し動揺してしまう。

「いやならすぐに警察にでも連れて行くからいつでも言って」 「なんで、」 「にこに連絡してもいいわ。まあにこたちも同じ穴の狢だけど」 「なんで急にそんなこと言うん?」

 希が静かにマグカップをテーブルに置いて問うように私を見る。

「別に。ただ私に積極的に関わってもロクなことがないって言いたいだけよ」 「えりちが女の子を好きなのは別に悪いことやないし、うちがここに住むことを許してくれたえりちの優しさがそれで減ることもないよ」

 自分が同性愛者だということを恥ずかしいと思ったことは一度もない。ただ私が頑なに距離をとっても簡単に追いつこうとする希の接し方がたまらなく居心地が悪い。

「どこ行くん?」

 無言のまま立ち上がり玄関に向かう私の背中に不安そうな希の声が呼びかける。

「散歩よ」 「うちもついて行ってええ?」

 言ったそばから距離を詰めくる、思わずため息がもれた。あてもなく、ただ彷徨うように人通りのない道を歩く私の後ろを黙々とついてくる希。なんのために外に出たのかわからない。地面を見ながら歩を進める無意味な作業。

「きれい」

 声がして立ち止まり振り向けば1軒の花屋。希が吸い込まれるように店に入って行くから仕方なくついていく。

「いらっしゃいませっ」

 バイトなのか学生風の店員が元気よく挨拶してきた。

「たくさんのお花に囲まれるといい匂いやね」 「花のことはよくわからないわ。興味もないし」

 別段花を綺麗だとも思わないし、どうせ枯れてしまうものに心を動かすのも意味がないような気がする。

「えりち、一輪買ってもええ?」

 入り口の隅の方でぼんやりとしていたら声をかけられた。

「……いいけど」

「じゃあこの花を」

 そう言って希が指差したのは白と赤のマーブル柄のカーネーション。

「まいどありにゃ。 店長呼ぶからちょっと待っててね」

 店員が大声で呼んでしばらくして大人しそうな店主が店の奥から出てきた。

「いらっしゃいませ」

 少しかすれた優しい声で挨拶してふわりと微笑む。

「かよちん、カーネーション売れたよ」 「やったね、凛ちゃん」

 店主が店員の頭を優しく撫でてバイトの子が嬉しそうにしている。まるで猫みたいだと思った。

「ふふふ、仲良しさんやね」 「うん。かよちんがいるからここで働いてるんだよ」 「凛ちゃん、あの、はずかしいから…」

 包装された一輪のカーネーションを希が受け取り店を出た。

「またいつでも気軽に来てくださいね」 「待ってるにゃー」

 そう言って飼い主と猫が手を振った。

「なんでカーネーションなの?」

 横を歩く希に尋ねれば、立ち止まって微笑みながら花をこちらに差し出してきた。

「私は希の母親ではないし、今日は母の日でもないわよ」 「そうやけど、これは感謝の気持ち。まあ、えりちのお金で買ってももらったものやけど」 「だから花に興味ないって」 「うん。でもな、うちの自己満足やけど感謝の気持ちを形にしたかったんよ」 「感謝なんてされる覚えはないわ。全部にこの命令なんだから」

 私はただにこの強引な提案に従ってるだけ。それ以上でも以下でもない。

「でも拒否して追い出すこともできたやろ? それをしないでくれてありがとう」

 そっとカーネーションを渡されて、希が困ったように笑うから私はどうしていいかわからない。

「水やりは希がしなさいよ」

 とっさに捻り出した言葉はあまりにも情けなかった。すぐにでも取り消したかったけれど、希がくすくす笑い出すからいたたまれなくなって足早で歩き出した。

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